キャラクター別 解説
第1回 荀彧篇 | 第2回 馬超篇 | 第3回 趙雲篇 | 第4回 周瑜篇 | 第5回 甘寧篇



中国、中国史通としても知られるノンフィクション作家・安田峰俊氏に三国志の魅力と、本作「三国志Three Kingdoms」公式朗読CDの楽しみ方をおうかがいしました。
氏の作品解説をインタビュー形式で掲載します。


◆「カスタマイズされる文化」としての三国志

今回お聞きになった『三国志 Three Kingdoms 朗読CD』荀彧篇の感想はいかがでしたか?
安田氏:面白い朗読を聴かせていただきました。声優が荀彧の視点から物語を語っていくわけですが、なんというか、荀彧の曹操への思いがほとばしり出ていましたね(笑)。『銀河英雄伝説』みたいな雰囲気で楽しかったです。

『銀河英雄伝説』は、80年代に大ヒットした田中芳樹氏のスペース・オペラ小説ですね。
安田氏:ええ。『三国志演義』は『銀英伝』のモチーフのひとつだという説もあるくらいなので、今回の朗読CDの雰囲気が似たイメージなのは、「本家」としてはある意味で当然かもしれない。『三国志演義』や『水滸伝』から『銀英伝』にまで一貫して存在した「フィクションとしての中国史」が持つ魅力を、ちゃんと継承している印象です。

安田さんはもともと中国史がご専門ですよね。今回のCDは完全なオリジナルストーリーですから、歴史学を学ばれた方からは「これは史実と違う!」というツッコミどころも有ったのではありませんか。
安田氏:三国志を題材にしたコンテンツに対して、そういうツッコミは不粋というものでしょう(笑)。三国志はもともと、中国においても日本においても「カスタマイズしてナンボ」の文化なんです。アレンジのされ方を楽しむべきものだと思いますよ。

「カスタマイズしてナンボ」とはどういうことですか?
安田氏:ストーリーものとしての“三国志”の系譜をひもとくと、もともと、私たちが知っている三国志のベースとなった話は、3世紀の晋の歴史家・陳寿が著した正史『三国志』です。でも、陳寿は非常にマジメな歴史家で「信頼性の高い史料に基づいて正確な情報のみ記す」という編集方針を採ったため、『三国志』は本文の文字数が20万字くらいの、非常に簡潔な書物になりました。この書物に書かれた基本設定が、後世にさまざまな形で伝えられる「三国志」の話の骨組みになりました。

でも、陳寿の『三国志』はあまりに簡潔なので、5世紀に裴松之という人が本文の約3倍の文字数がある膨大な注釈を付けることになります。こちらでは210種もの文献が参照され、陳寿『三国志』の本文で省かれた“ウソかもしれないけれど面白い”ようなエピソードも「注釈」として付記されるようになります。裴松之注釈付きの、正史『三国志』のできあがりです。

陳寿の『三国志』を「うどんの麺」だとしたら、裴松之の注は、「めんつゆ」みたいなもの。両者が合わさった、裴松之注付きの正史『三国志』は「素うどん」みたいなものです(笑)。そして、この「素うどん」にいろいろとトッピングを乗せたり食べ方を変えたりしてカスタマイズしていくのが、その後のエンタメとしての『三国志』関連作品なんだと思います。

なるほど。具体的にはどういうものですか?
安田氏:三国志はその後、中国の庶民社会において講談やお芝居の形で語り継がれていきます。そんななかで形成された、現存する最古の三国志エンタメ作品は、元朝の至治年間(14世紀初頭)の成立とされる『三国志平話』。これは講談のタネ本で、とにかく聴衆をウケさせなきゃいかんというわけで、荒唐無稽ウソ八百というか、めちゃくちゃフリーダムな内容となっています。

例えば、張飛が督郵を殴り殺して五体をバラバラにしてから劉備・関羽と一緒に山賊になったり、同じく張飛が怒号一喝しただけで長坂橋がガラガラと崩壊して曹操軍が30里(約4.5キロ)も逃げ去っていったり、龐統が劉備に冷遇されるのに腹を立てて荊州四群を挙げての大反乱を起こしたりする。これだけでも、『平話』の物凄さがわかるかと思います。

張飛、凄いですね。張飛がいれば、三国の統一なんて簡単にできそうです(笑)。
安田:そうですよね(笑)。『平話』は講釈師がノリで喋ったような話なので、確かに面白いんだけれど、ストーリーの整合性も時代考証もあったもんじゃないのです。エンタメとしての三国志が、時代考証よりも話の面白さを追求しがちなのは600年前からの伝統なのかもしれません。最初は「素うどん」だった陳寿『三国志』を、「カレー南蛮」や「煮込みうどん」に仕立てる、大胆なカスタマイズがなされているわけです。

『平話』については初めて知りました。でも、ドラマ『三国志 Three Kingdoms』や今回の朗読CDのような、私たちが知っている三国志は、そこまで滅茶苦茶ではない気がします。
安田氏:それは14世紀後半の中国で、『平話』のような民間に流布されていた説話に加え、正史『三国志』や裴松之の注、『後漢書』や『世説新語』なんかの他の史料の内容も反映させてお話を作った、非常に頭のいい小説家が登場したからです。彼の名前は羅漢中、作品名はご存知の通り『三国志演義』です。ドラマ『三国志 Three Kingdoms』や今回の朗読CDの、直接の元ネタですね。

『演義』は小説とはいえ、デタラメな『平話』と違って話の整合性もあるし、時代考証もまずまずしっかりしています。ゆえに、この作品は庶民だけではなく知識人にも人気を博することになり、結果として現代まで読み継がれる文学作品となったわけです。

もっとも、知識人ウケを狙うとしても、正史『三国志』の内容を淡々と語ったのではエンタメとして面白くないので、『演義』にもやはり別のアレンジが加えられています。つまり、儒教道徳が反映されて勧善懲悪的なストーリー展開が付加されたんです。

なるほど、具体的に教えてください。
安田氏:劉備が「仁の人」で関羽が「義の人」、諸葛亮が変幻自在の名軍師にして忠義者の名宰相であるなど、私たちがイメージする蜀の武将たちが「いい人」ばっかりになっているのは、『演義』によって作られた設定だということですよ。

劉備や諸葛亮は主人公だから「善玉」で、曹操は敵だから「悪玉」です。善玉の劉備陣営の人たちはあんまり悪いことをしない。劉備が山賊になったり、張飛が督郵を殺してバラバラにしたり、龐統がヤケになって反乱を起こしたりはしないわけなんです。

逆に、「悪玉」の曹操は恩人の呂伯奢の一家を惨殺して開き直ったり、献帝の皇后(伏皇后)をいじめ殺したりと、『演義』では史実以上にイヤなヤツとして設定されている。「善玉」諸葛亮のライバルとして対置されている呉の周瑜も、なにかと諸葛亮にジェラシーを燃やす「空回り系の痛い人」にされている。実際の周瑜はそんなに料簡が狭い人じゃなかったはずで、非常にかわいそうなんですが(笑)。

なるほど。でも、日本では曹操は「悪玉」イメージではない気がします。むしろカッコいい気がしますね?
安田氏:それは、私たちが知っている日本の三国志では「曹操をただの悪役にしない」という更なるアレンジが加えられているからです。吉川英治氏の小説『三国志』や、それをベースに漫画化された横山光輝氏の『三国志』が、ピカレスクな魅力があるダーティー・ヒーローとして曹操を描いたからですね。さらに近年だと、王欣太氏の『蒼天航路』なんかは、さらに強力に「曹操、超カッコいい」アレンジを加えている。

こうした歴史からもわかるように、エンタメとしての三国志は、基本的な登場人物さえ押さえていれば、あとは彼らの性格や振る舞いを「カスタマイズしてナンボ」、「アレンジしてナンボ」なんです。昨今の日本のマンガやゲームみたいに、三国志の武将をみんな美少女にする(『一騎当千』、『恋姫†無双』)とか、異世界で戦国武将と戦わせる(『無双OROCHI』)とかだってOK(笑)。本場の中国でも、張飛が怒鳴るだけで橋がガラガラと崩れ落ちるようなフリーダムなお話を、現在から600年も前に作ってるわけなんですから。

安田氏:真面目な話に戻ると、今回聴かせていただいた『三国志 Three Kingdoms 朗読CD』の「荀彧篇」は、こうしたエンタメ三国志の歴史のなかではかなり正統な流れに属する作品だと思います。この作品は、『演義』をメインに映像化した中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』を下敷きにした上で、日本の声優がオリジナルストーリーを読み上げる内容。「ピカレスクな天才・曹操が大好きで仕方ない荀彧」という設定ですね。これももちろん、アリです。

制作スタッフに聞くところによると、時代考証は悩みどころだったようです。荀彧のセリフのなかで、諡号(死後のおくりな)である「献帝」という言葉を使っていいのか。また、本来は名前とあざなをくっつけて呼ぶことはないのに「諸葛亮孔明」といった呼称を使っていいのか。
しかし、「朗読CD」というメディアの特性上、みんなによく知られた呼称を使わないと、聞いている人が話の意味を取ることができないということがあったようです……。

安田氏:もちろん考証は大事ですし、アカデミックの分野ならばこの点は妥協してはいけないと思います。ただ、エンタメである場合は仕方ない部分もあるのではないでしょうか。日本の歴史ドラマだって「信長さま」みたいに、いみなを平気で呼んでいるような描写もあるわけですし。そこは現代向けの変換というか、お約束ですよね(笑)。

◆『三国志 Three Kingdoms 朗読CD』の聴きどころ

『三国志 Three Kingdoms 朗読CD』の聴きどころについてうかがいたいと思います。
CDには特装版と通常版がありますが、それぞれの違いについてはどう思われますか?

安田氏:一言で言ってしまうと、特装版は諸葛亮役の堀内賢雄さんや、各篇の担当声優(荀彧篇は櫻井孝宏さん)のファンの方向け。若い女性向けだと言えるかもしれません。一方、通常版は、三国志そのもののファンの方向け、男性向け、という印象でした。

「特装版と通常版」というと、「特装版の方が豪華でクオリティが高いんじゃないのか?」という先入観を持ちそうですが、そうではない印象ですね。対象とする層が違うのだろうなあと感じます。

特装版の副題は「眠れぬ貴女のために」です。
安田氏:ええ。私は男性ですから、特装版よりも通常版の方が好きでした(笑)。

他に何か感じられたことはありますか?
安田氏:今回の朗読CDは、中国ドラマの『三国志 Three Kingdoms』の公式CDですよね。でも、ドラマ版とは声優が違うし、中身もオリジナルストーリー。日本のエンタメ文脈の三国志に慣れた人には、より違和感が少ない形で楽しめそうだと感じます。

最後に何か一言おねがいします。
安田:史実は史実ですし、歴史の中から真実を考察する行為はとても重要なものだと思います。でも、エンタメとしての三国志は、100人いれば100通りの解釈がなされて構わない文化だとも思います。自分のなかの三国志、自分のなかの荀彧のイメージを大事にして楽しんでいければいいですよね。今回の朗読CDも、そんな各人の楽しみに、さらなる題材を提供するものだと言えるのではないでしょうか。

ありがとうございました。


【安田峰俊】(やすだ みねとし)
1982年滋賀県生まれ。広島大学大学院文学研究科博士課程前期修了。現代中国の農村レポから古代中国史まで、幅広い視点で隣国の社会を切り取る「中国通」の若手ノンフィクション作家として知られる。近著に『独裁者の教養』(星海社新書)、『中国・電脳大国の嘘』(文藝春秋)など。
 安田峰俊氏 撮影:野原誠治




三国志通の安田氏に、今回のシリーズ五篇のキャラクターたち(荀彧・馬超・趙雲・周瑜・甘寧)について、連続でお話を伺っていくことになりました。
第一回の今回は荀彧です―


◆三人の「荀彧」

彼の人物像について、安田さんはどういう印象をお持ちですか?
安田氏:そうですね……。荀彧は、正史の『後漢書』や『三国志』と、小説の『演義』とで人物像のギャップが小さい人なんです。史書と創作物のいずれにおいても、「王佐の才(君主のブレーンとしての才能)」を持つ、曹操の優秀な参謀。『後漢書』によれば、曹操の魏公就任に賛成しなかったところ、君主から空っぽの器を送りつけられ、それで曹操の意図を察して自殺したとなっている。これは『演義』でもほぼ同様です。最初から最後まで、あまり大きな違いはないわけです。

なるほど。同じ軍師タイプでも、史実と『演義』で人物設定が大きく変わる諸葛亮や周瑜とは違うんですね。
安田氏:そうです。ちなみに荀彧は戦略コンサルみたいな仕事をしていた人なので、『演義』だと史実よりも見せ場が少ないですね。正史を読むと、いろいろ建策をしたり大量の人材スカウトをしたりする様子が確認できるんですが。『演義』はやっぱり、切ったはったの戦いが魅力の物語なので、裏方仕事の荀彧はどうしても地味に見えてしまう。

また、横山光輝氏の『三国志』を入り口にして三国志マニアになった人にとっても、荀彧は印象が薄いと思います。横山三国志は曹操本人のキャラを際立たせるために、ブレーンだった荀彧や程昱・郭嘉の存在感を意図的に弱める描き方をしていますから。コーエーの『三國志』みたいな歴史シミュレーション系ゲームをやると、荀彧は内政・外交のプロとしてすごく使えるヤツだと再確認できますけどね(笑)。

……もっとも同じ漫画でも、曹操を全編の主人公に据えた『蒼天航路』なんかですと、荀彧はかなりの重要人物です。『蒼天航路』版の荀彧は、「天才だけれど三枚目のヘンなヤツ」という、史実とも『演義』とも異なる独特のキャラ付けがなされています。

今回の朗読CDのなかでは、「天才・曹操が大好きで仕方ない」というキャラクター付けですね。日本においては比較的オーソドックスな人物像でしょうか。二枚目設定ですし(笑)。
安田氏:そうですね。日本におけるエンタメ三国志の文脈のなかでは、けっこうベタなキャラクター設定だと感じました。ちなみに、荀彧の二枚目設定というのはある程度は裏付けがあるみたいですよ。曹操の部下に毒舌家の禰衡(でいこう)という人がいて、荀彧について「病気見舞いや弔問の使者にお似合いだ」と悪口を言ったという話が『世説新語』にあるそうです。「弔問客が似合う」ということは、ちょっと不景気な雰囲気を漂わせていたのかもしれませんが、彼はひとまず公式の場に出して恥ずかしくない程度にはルックスがよかったんでしょう。

じゃあ、今回の朗読CDの荀彧は、意外と(?)史実に基づいたキャラクター設定なんですね。
安田氏:そうかもしれません(笑)。もっとも、本当の荀彧のキャラをどう解釈するかという問題は、実は史書を読んですらもよくわからないんです。諸説紛々なんですよ。

そうなんですか? お話を聞いていて、史実の荀彧もてっきり「天才・曹操が大好きで仕方ない」人物だったのかと思いましたが。
安田氏:荀彧の解釈は、大きく分けて3パターンあるんです。ひとつは、今回の朗読CDに通じるような「天才・曹操が大好きで仕方ない」荀彧。曹操の忠実な部下としての彼ですね。日本での創作物で一般に知られているベタな人物像でもあります。

もうひとつは、「曹操の臣下」ではなく「漢王朝の臣下」としての荀彧。史書を見ますと、陳寿の『三国志』が彼を魏の臣下として扱っている一方で、後漢王朝の歴史書である『後漢書』は彼を「漢朝の忠臣」として描いている。なので、例えば18世紀ごろの清朝の学者だった趙翼という人は、著書『二十二史箚記』のなかで「荀彧は漢の臣だ。荀攸や賈詡のような魏の臣といっしょにするべきではない」と主張しています。荀彧の死の原因を考えれば頷くべき説かもしれません。漫画の『蒼天航路』でも、やや独自の解釈がされてしましたが、荀彧のなかにある「漢の臣」としての葛藤が描かれていました。

そして、最後のひとつは、三国志の時代の中国において独自の強い力を持っていた「名士(儒教知識人)階層の代表者」としての荀彧です。これは日本の三国志学の碩学・渡邉義浩先生が主張しておられる説です。当時の中国において、「名士」と呼ばれる儒教の教養を持つ知識人――要するに荀彧や孔融・程昱・諸葛亮・司馬懿みたいな人たち――は、社会におけるオピニオンリーダーとして、群雄たちとは別の形での隠然たる力を持っていた。荀彧はそんな名士層の利益代表者だったという見方です。安田個人も、この主張は妥当だと思いますね。

荀彧は名士層が理想とする「儒教国家」の建設のために曹操に協力した。だが、曹操が描いている国家像は、名士層の権力を制限してでも君主権力の強化を志向するものだった。この国家観の矛盾が拡大したことで、曹操と荀彧は仲違いをせざるを得なかった……、というわけです。この説にもとづいてやや冷たい言い方をするなら、史実の荀彧は、「曹操のため」や「漢のため」ではなく「名士層の利益のため」に動いていた人である、ともいえます。

それは意外です。もうちょっとわかりやすく説明してもらってもいいですか?
安田氏:ちょっと強引な個人的解釈ですが、現代を例にして説明しましょう。例えば、大阪市の橋下徹市長を曹操に置き換えてイメージしてください。で、市議会に、ある業界とすごく関わりの深い「族議員」のJさん、つまり荀彧さんがいるとする(笑)。

このJ議員は、当初は橋下市長の改革路線が自分たちの業界にもプラスになると考えて、市長にバリバリ協力するわけです。しかし、やがて橋下市長の目指している市政や府政のモデルが、実は自分たちの業界を圧迫するものであることに気付く。でも、これまで協力してきた市長への義理もあるので、いまさら反旗を翻すわけにはいかない。結果……、J議員がとれる行動は、目の前のゴタゴタを投げ出して辞職することしかない。橋下市長から空の器を送られて、意図を察したJ議員は身を辞するという(笑)。

こんなふうに考えると、史実における曹操と荀彧の関係や、荀彧の死の理由をイメージしやすいかもしれません。なんだか現在でもありそうな話ですよね。

なるほど。とてもわかりやすいですね。でも、荀彧を大阪の族議員に置き換えるなんて、なんだか生々しすぎて幻滅する人が出そうな……(笑)。
安田氏:そうですね(笑)。史実としての三国志を突き詰めて眺めると、中国のオッサンたちのドロドロの政治劇や、軍閥同士の抗争でしかないともいえるんです。

でも、現実がそうであるからこそ、エンタメの創作物の世界では「カスタマイズしてナンボ」、「アレンジしてナンボ」。それを面白がるからいいんだと思います。

荀彧について、族議員のオッサン政治家だとみなすか、曹操が大好きで仕方ない愛と忠義の美青年(?)だとみなすかだって、個人の解釈に任されていいんです。とにかく、三国志の時代に頑張って生きていた人がいたことは事実なんですから、後世の私たちは彼らの姿をあれこれと想像して楽しもうよ!、と。少なくとも、私は三国志についてそういう楽しみ方をしていますね。

安田氏談




三国志通の安田氏に、今回のシリーズ五篇のキャラクターたち(荀彧・馬超・趙雲・周瑜・甘寧)について、連続でお話を伺っていくことになりました。
第二回は馬超です―


◆戦国大名としての馬超

まず、『三国志』朗読CD馬超篇「虎の咆哮」のご感想はいかがでしたか?
安田氏:いやー、気合が入っていましたね。『蒼天航路』の馬超、横山光輝『三国志』の馬超、コーエーのゲームの馬超と、いろいろな作品のどの馬超のイメージにもよく合うという印象です。今回の朗読を担当なさった声優の杉田智和さんは馬超ファンであるとのことですが、「さすが!」という感じでした。

なるほど。ご本人が聞いたら喜ばれると思います
安田氏:おのれの武だけを信じ、父と弟たちを殺した不倶戴天の仇敵・曹操をつけ狙う復讐鬼――。これが『三国志演義』の馬超の性格付けなのですが、杉田さんはそれを巧みに表現されていたと思います。この『三国志』インタビュー第一回でもお話したように、私はエンタメの三国志は「カスタマイズしてナンボ」、「アレンジしてナンボ」だと思っているんですが、今回の朗読CDもまさにその王道を進んでいる印象ですね。

今回の朗読CDでは、蜀の陣営に加入した馬超が、その孤高さゆえに他の蜀の臣と交わらずに過ごしている。しかし、趙雲に対してだけは心が動いてしまう、というストーリーです。これは、やはり史実からすると、実際にはあり得ないことになりそうですか?
安田氏:半分半分、とあえて言ってみます。馬超が趙雲にときめいてしまうのはフィクションであったに違いありませんが(笑)、「その孤高さゆえに他の蜀の臣と交わらずに過ごして」いた点は、もしかしたら本当にそうだったかもしれない。まあ、その点は後でゆっくりお話するとして、まずは『演義』と史実の馬超像を整理するところから始めましょう。

はい。「カスタマイズしてナンボ」である『演義』と、史実との間にはギャップもあるのですよね。今回の朗読CDを監修して下さっている三国志学会事務局長の渡邉義浩先生も、「馬超が父親(馬騰)や兄弟を曹操に殺されたので反乱を起こした」という日本でよく知られている設定は、『演義』の創作であると解説されています。
安田氏:そうです。正史の陳寿『三国志』を読んでいると、『演義』とは違う馬超の素顔も見えてくるんです。例えば父親の馬騰の件にしても、馬騰は潼関の戦いの前に韓遂との関係が悪化して、自分から都に行っているらしいんですね。で、馬騰の領民や軍勢は息子の馬超が引き継いだとあります。結果、後に馬超は韓遂と結んで反乱を起こし、都にいた馬騰は曹操に殺されることになる。

これって、馬超は父親の死が予見されていたにもかかわらず反乱を起こしたわけですよ。父親を意図的に見殺しにしたと解釈されてもしょうがない行動ですよね。

ほか、あまり知られていませんが、実は馬超には「馬秋」という息子がいたんです。馬超は後に曹操に敗れて漢中の張魯のもとへ亡命、さらに劉備のもとへ帰順するわけですが、その際に息子の馬秋を張魯のところへ置き去りにしています。で、やがて馬秋は張魯に殺されている。

これだって、息子を放ったらかしで敵(=劉備)に投降すれば残された子がどういう運命をたどるかは予測がついたはずですから、やはり「見殺し」にしたと考えた方がいい。史実の馬超を調べると、そんな意外と冷酷な彼の一面も見えてきます。

それは衝撃的ですね。馬超ファンが聞いたら困ってしまいそうな……。
安田氏:いえいえ。現代の価値観で解釈すると、史実の馬超はずいぶん「ひどいやつ」に見えるわけですが、当時においてはそれも決して珍しいことではなかったのかもしれません。例えば馬騰の例ですが、これはもしかすると、当主の馬騰と嫡子の馬超との間でお家騒動的なものがあって、それゆえに「馬騰見殺し事件」が起きたのかもしれない。

当主や前当主と嫡子が争うというのは、日本の戦国時代でも多く例があります。有名なところだと、斎藤義龍は父親の斎藤道三を殺していますよね。ほかに武田信玄も父親の信虎を追放している。また、父子が争ったわけではありませんが、例えば伊達政宗は敵の謀略で捕虜になった父親(伊達輝宗)を見殺しにしています。自分のために息子を殺すケースも、有名なところだと、徳川家康が嫡子の信康を切腹させた例がありますね。

日本の戦国時代と中国の三国時代を安易に結びつけ過ぎるのはよくありませんが、乱世において軍閥集団のリーダーたちが取る行動というのは、どうしても似通ってくるのかもしれません。でも、たとえそんな行動があったところで、やっぱり伊達政宗や武田信玄はカッコいい英雄であるわけです。これは馬超も同じだと思いますよ。

ヒーローには変わりがないということですね。では、馬超の武勇についてはどうなのでしょうか?
安田氏:馬超の強さと血の気の多さは正真正銘のようです。正史『三国志』によると、潼関の戦いの際に、馬超・韓遂・曹操の当事者三人がわずかな伴回りを連れて馬上で会話するという出来事(単馬会語)があったそうなのですが、馬超はそこで曹操を殺す気満々だったとか。で、曹操のボディーガードだった許褚が馬超を睨みつけて手出しさせなかったという話が伝わっています。『演義』において、馬超と許褚は凄まじい一騎打ちを演じることになるのですが、そのルーツは史書に載っているこの話なのでしょうね。

また、正史『三国志』馬超伝には、曹操の部下の楊阜の「馬超の武勇は韓信・鯨布(げいふ)に匹敵します」という発言が収録されていますし、諸葛亮が関羽に対して送った手紙のなかにも同様の表現が出てきます。この韓信と鯨布というのは、それぞれ前漢王朝が成立するときに大活躍した武将。楊阜のセリフを日本の野球に例えると「○○選手のセンスは王貞治や長島茂雄に匹敵します」ぐらいの表現になります。すごいでしょう?(笑)

こうした人々に例えられるくらいですし、馬超の武力は相当なものだったはずです。彼は史実でも強い人だった。ファンの方はこの点は安心していいんじゃないでしょうか(笑)。


◆異民族と三国志

ほかに馬超についてのエピソードはありますか。
安田氏:あまり知られていませんが、馬超は曹操に加勢して戦ったことがあります。

えええ!? 本当ですか?
安田氏:袁紹が死んですぐの202年のことです。袁紹亡きあとも袁一門はしばらく勢い盛んでして、袁氏の将である高幹・郭援が、さらに独立軍閥の南匈奴の単于(ぜんう)・韓遂・馬騰らを巻き込んで大規模な曹操包囲網を作るんですね。ところが、馬騰と韓遂は途中で裏切って曹操側に付いたんです。で、高幹・郭援・南匈奴と戦う曹操に対して、馬騰は息子の馬超を援軍に送ったんですよ。

正史『三国志』馬超伝の注釈にある『典略』の記述によると、馬超はここで足に矢を受けたんですが、「囊を以って其の足を囊して戦う(以囊囊其足而戦)」、要するに袋か何かで足を覆って、それでも戦い続けたといいます。馬超が曹操に協力して戦うのはフィクション的には都合が悪かったらしく、この戦いの話は『演義』には出てこないのですが、それにしても凄まじい武勇をしのばせるエピソードですね。馬超軍はこの戦いで敵将の郭援を捕まえる大戦果を挙げて、部下の龐徳が郭援を斬首しています。

高幹・郭援なんて、『演義』にはほとんど出てこない人名ばかりですね。でも、馬超の強さだけは、『演義』も史実もブレがなかったという……。ところで、「南匈奴の単于」って何なのですか?
安田氏:匈奴というのは、かつてモンゴル高原に割拠していた騎馬民族でして、「単于」は彼らの族長の称号です。匈奴帝国は前漢の武帝の時代までは漢王朝よりも強力でしたが、三国志の時代にはすでに衰退して分裂を繰り返していました。「南匈奴」はその分派のひとつで、部族を挙げて中国本土内部に移住していた人たちですね。ただ、腐っても鯛というか、いくら衰退しても往年のユーラシアの覇者の末裔たちですから、いざ戦争になったときの彼らは非常に強かったようです。

馬超はその軍団とも戦っていたんです。彼自身も羌族の血を引いているとされますし、西涼軍団の兵士たちも羌族が多かったはずですから、ちょっとした異民族大戦だったことでしょう。スケールが大きいですよね。

異民族といえば、もうすこし後の時代に、曹操が烏桓兵を配下に組み込んでいたりしますね。
安田氏:ええ。ちなみに、異民族兵を自分の陣営に積極的に引き込むのを最初にやったのは董卓と呂布です。彼らはそれぞれ、羌族やモンゴル系の異民族をおそらく自己の軍団に組み込んでいたと見られています。馬騰・馬超父子や韓遂もそれをやっていましたし、おっしゃるように曹操もそうでした。こういう外人傭兵部隊を使うのが、後漢末から三国時代にかけて華北に割拠した群雄たちのトレンドだったんです。

ただ、外人傭兵部隊というのは諸刃の剣です。やがて司馬懿の子孫が建てた西晋は、三国を統一してからわずか30年後に「永嘉の乱」で滅んでいますが、これは異民族の侵入と国内の異民族軍人の割拠によって起きた内乱でした。後漢末期の群雄が採用していた外人傭兵部隊作戦のツケが、次の時代になって回ってきたわけですね(五胡十六国時代)。この結果、曹操や司馬懿の子孫たちは死んだり亡命したりで散々な目に遭うことになります。

で、面白い話なんですが、永嘉の乱で西晋を直接滅ぼした人物は「劉淵」といいます。この劉淵、なんだか中国人みたいな名前ですが、実は南匈奴の出身なんですよ。馬超が202年に戦ってボコボコにした南匈奴軍団のリーダーから見て、甥の息子にあたるとされます。この劉淵が、曹氏や司馬氏をひどい目に遭わせることになるんです。

えええ!? 本当ですか? ……って、驚いてばかりですいません(笑)。
安田氏:いや、驚いて当たり前ですよ。馬超がさらに徹底的に南匈奴軍団をボコボコにしてたら、もしかすると劉淵は生まれてこなかったかもしれない。そうすると、曹操政権の後継である西晋も滅びなかったわけで……。馬超は本人が気付かないところで、曹操や司馬懿に復讐を果たしていたのかもしれません。ちょっと無理矢理ですが(笑)。


◆馬超のFA宣言

そろそろ時間になりますね。冒頭におっしゃった「その孤高さゆえに他の蜀の臣と交わらずに過ごしていた馬超」とは、史実ではどう解釈すればいいんでしょうか。
安田氏:正史『三国志』馬超伝の注釈に引く『山陽公載記』に面白い記述があります。いろいろあった末に劉備に帰順した馬超なんですが、もともと独立の大名だった彼は劉備に厚遇されることで増長して、劉備の下の名前を呼び付けるような失礼な態度をとったとか。それで関羽と張飛が激怒して、馬超を殺す寸前までいったというのです。

……もっとも、関羽はこの時期には荊州にいたわけですし、このエピソードはおそらく嘘であるとされています。しかし、こういう話が伝えられていることを見ても、当時の劉備陣営内部における馬超の微妙な立場が想像できますね。

劉備の譜代の臣下たちから見れば、高すぎる実績を誇って高待遇でいきなり移籍してきた馬超は、なんとも扱いづらい人だったのではないでしょうか。ヘンな例えですが、中村ノリ選手の移籍を迎える横浜DeNAの選手の気持ちみたいな(笑)。そんな感じだったんじゃないかと思ったりします。

ならば今回の朗読CDのように、蜀の群臣のなかで浮いていた馬超が、趙雲と心の交流を持っていた可能性も……?
安田氏:ええ、そんな想像を形にしていく作業こそがフィクションの醍醐味ですよね。イメージの世界に遊ぶのも、三国志の楽しみ方のひとつであるはず! エンタメ歴史はアレンジしてナンボ! ……とまあ、そんな感じでまとめて、今回の馬超の話はおしまいとしましょうか。

ありがとうございました。

安田氏談




三国志通の安田氏に、今回のシリーズ五篇のキャラクターたち(荀彧・馬超・趙雲・周瑜・甘寧)について、連続でお話を伺っていくことになりました。
第三回は趙雲です―


◆ギャップが小さい趙雲

今回は第三回目となりますね。『三国志』朗読CD趙雲篇のご感想はいかがでしたか?
安田氏:意外な場面設定でした。普通、趙雲と言うと長坂の戦いで阿斗(劉禅)を救出したシーンが取り上げられがちですが、まさか夷陵の戦いとは。なかなか憎いところを突いてこられたなあという印象です。

ええ。長坂の戦いは、ドラマ版の『三国志 Three Kingaoms』で大きく取り上げられていることもあり、今回の朗読CDの製作側では別な時期の趙雲の見せ場を紹介していこうという意図だったようです。
安田氏:作中回想という形で、趙雲が劉備と出会った青年時代のエピソードも出てきますよね。趙雲には豪傑武将のイメージがありますが、堅実すぎて意外に見せ場が少ないところがあります。そんな趙雲が目立つシーンを上手く切り取っていますよね。

趙雲はとにかく堅実な武将ですよね。安定感がある。
安田氏:ええ。『三国志演義』や、その影響を受けて成立している横山光輝『三国志』やドラマ版の『三国志 Three Kingdoms』で見られる趙雲は、まさにそういう人です。『演義』で「五虎大将軍」と呼ばれている劉備陣営の驍将は、関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超の五人ですが、黄忠と馬超は加入時期が遅いので、普通は関羽・張飛・趙雲が、劉備陣営の本当のメインの武将だと見なされがちです。

でも、関羽や張飛はなにぶん劉備の「義兄弟」ですし、最初期の旗揚げの時期から一緒ですから、システマティックな上司と部下の関係にはなかなかなれない。「桃園の誓い」は『演義』のフィクションですが、三人の関係が非常に情念的なものだったのは、史実においても間違いなかったはずです。夷陵の戦いだって、関羽が殺されたことに劉備が激怒して、内外の情勢を無視して起こした戦争でした。

でも、こういう情念的すぎる関係は、「上司と部下」の関係としては必ずしもよいものとは言えない部分もあるんです。義勇軍を旗揚げした当時なら、そういうアットホームな関係は非常に強力で好ましいものなんですが、ひとつの国家(=荊州や蜀)のレベルまで軍団組織が成長しちゃうと、君臣関係はちゃんとケジメのある「上司と部下」の関係であることが求められてくる。

関羽と張飛は最後まで、主君の劉備に対して「上司と部下」という付き合い方をすることができない人たちでした。一方で趙雲の場合は、心の中では劉備に対して情念的な親しみを持っていたかもしれませんが、組織における「部下」としての自分の立場を理解して、着実に仕事を進めていける人だった。私たちが趙雲に対して感じる安定感はそこにあるのだと思います。これは、『演義』においても史実においても同様です。

おもしろいですね。なんだか、友人と共同経営で立ちあげたベンチャー企業なんかでも似たようなケースがありそうな……。
安田氏:そうなるかもしれません(笑)。最初は友人と数人でベンチャー企業「有限会社 劉備」を立ち上げてチマチマとやっていたのが、いろいろあった末に上場できるくらいの大企業「㈱蜀漢」になっちゃった。そうなると、ベンチャー時代の創業メンバーたちは大企業の取締役に就任することになる。でも、もとは社長の友人でしかない創業メンバーたちが、上場企業の幹部としてしっかり組織人をやれるとは限らないんです。

関羽や張飛は、劉備社長のいい友人ではあっても、いい組織人ではなかった。一方で趙雲は、組織人としても優秀だったということでしょうか。日本では、三国志の登場人物のなかで特に趙雲の人気が高いそうですが、その理由も頷けるところです。

なるほど。たしかに納得がいきますね。
安田氏:もっとも、趙雲だって、心の中では関羽や張飛に負けないくらい劉備を慕っていたのかもしれません。少なくともそうだと考えておきたい……、という思いは、三国志ファンなら抱いてもおかしくないものです。ドラマ版の『三国志 Three Kingdoms』では、ドラマならではの創作エピソードとして、趙雲が劉備・関羽・張飛と桃園の誓いを結び直すシーンがありますが、これはそんな三国志ファンの思いを形にしたものでしょうね。

今回の朗読CDの趙雲篇も、同じようなスタンスから作られていると感じます。趙雲は確かに優秀な組織人なんだけれど、本当は義兄弟みたいな熱い思いを劉備に対して抱いているという設定ですね。


◆史実の趙雲は影が薄い?

それでは、今回の人物談議では恒例の、史実と『演義』とのギャップについての話題です。史書における記載と『演義』では、趙雲の人物像はどこまで異なっているんでしょうか?
安田氏:実は、そんなに大きく違わないかもしれません。正史『三国志』の裴松之の注釈に引く『趙雲別伝』という書物によれば、趙雲は身長が八尺の美男子で、義に篤く勇敢で強い武将だったとされています。

なるほど。全世界の趙雲ファンは一安心ですね。
安田氏:それだけではないですよ。『趙雲別伝』によれば、劉備は趙雲を非常に大事にしており、時に同じ布団で眠るくらいであったとか。また、長坂の戦いの際に趙雲が曹操軍に投降したという噂を聞いた際には、劉備は「子龍が私を裏切るわけがない」と言って強い信頼を示したといいます。また、後に漢中での戦いで趙雲が勇敢な戦いぶりを示した際には、劉備は「趙雲は全身すべて肝っ玉だわい(子龍一身都是膽)」とも評したそうです。

ほか、『趙雲別伝』には、趙雲が桂陽太守の趙範から彼の美人の兄嫁を妻に勧められた際にそれを断ったという記述もありますし、夷陵の戦いの前に劉備に対してあえて直言して呉との戦争を反対したという記述もあります。どれも、私たちが『演義』を通じて知っているストイックでカッコいい趙雲そのままの姿ですね。

おおー。歴史書にちゃんとそう書いているなんて、趙雲はやっぱり凄い武将だったんですね。
安田氏:いえいえ、ここでひとつ注意が必要なんです。いまのエピソードって、あくまでも裴松之が注に引く『趙雲別伝』という本に書いてある話なんですよ。一方で陳寿の『三国志』本文には、そんなカッコいい話はほとんど書いていない。肯定的な記述といえば、長坂の戦いで阿斗と甘夫人(劉備の夫人の一人)を救ったことくらいです。あとは、諸葛亮の北伐の際に、趙雲は鄧芝と一緒に曹真と戦ったけれど負けてしまった、ただし大敗はしなかった……、という程度のもの。正史の本文から、趙雲の活躍を知ることは難しいんです。

正史の本文での趙雲はそんなに地味なんですか?
安田氏:そうです。陳寿の『三国志』では、後世の『演義』で「五虎大将軍」と呼ばれる五人が同じ伝に入っていて、「蜀書 関張馬黄趙伝」となっているのですが、ここで趙雲の紹介順は一番最後なんです。記述の文字数も三〇〇字程度しかなくて、関羽の四分の一、張飛の三分の一くらいしかない。事実、劉備軍団内部での趙雲の地位を見ると、特に劉備の存命中は、黄忠や魏延よりも低かったようなのです。劉備が趙雲に対して特に目を掛けていた痕跡は確認できませんね。

また、陳寿『三国志』全体で趙雲の名前が本文に出てくる頻度を調べると、彼の名前が「蜀書」でしか出てこないことがわかります。一方、関羽・張飛・馬超の三人は、「魏書」や「呉書」のなかでも、魏や呉の武将たちの会話のなかでその名に言及している様子が観察できる。これば言いかえれば、関羽・張飛・馬超の三人は、蜀の国外でも話題になるほどの真のメジャー武将だったということです。一方で黄忠と趙雲は、確かにまずまず凄い武将だったけれど、その知名度はあくまでも蜀の国内に限られるマイナー武将だったということになります。悪い言い方をすると、「内輪ウケ」の評価しかなかったかもしれないという。

正史の本文に登場する地味武将の趙雲と、『趙雲別伝』や『演義』に出てくる大豪傑の趙雲は、ほとんど別人かと思えるほど違います。『演義』の記述は間違いなく裴松之注の『趙雲別伝』を下敷きにしているはずですから、これはつまり、どちらも歴史書に書かれていることとはいえ、正史『三国志』と『趙雲別伝』では趙雲像が大きく違うという意味になりますね。

ええっ! なら、『趙雲別伝』の記述って一体……?
安田氏:『趙雲別伝』がどういう書物だったのかは、元の書物が既に散失しているので正確には不明です。ただ、内容から判断するに、どうやら趙雲の関係者が残した書物のように見えるんですよ。もしかすると、趙雲の親類縁者あたりの人物が書いたのかもしれません。

『趙雲別伝』に出てくる趙雲の英雄的な姿は、「うちのジイサンは偉かったんだぜ!」という、先祖自慢や親戚自慢のような文脈で書かれたものである可能性があります。結果、蜀の地味な古参職業軍人が、関羽や張飛に匹敵する豪傑のように描かれたというわけです。

ここで興味深いのが、正史の本文において趙雲とほぼ同じ分量を割いて紹介されている黄忠です。しかし、黄忠は息子が早世していて子孫がいませんでした。結果、後世に黄忠を褒めるような文章を残す人は誰もあらわれなかったらしく、正史の「黄忠伝」には裴松之の注釈がひとつもありません。なので、黄忠については、後世の創作物においてもそれほど強烈な英雄イメージが存在しないのです。

一方で趙雲は、正史の本文での扱いは黄忠とほとんど変わらないにもかかわらず、裴松之の注釈で『趙雲列伝』が再三引用されて、どんどん趙雲最強伝説が作り上げられるようになっています。人間、持つべきものは、自分が死んでから好意的な自伝をまとめてくれる優秀な子孫なのかもしれません(笑)。

などほど(笑)。では最後に、こうした事情を踏まえた上での『三国志』朗読CD趙雲篇の聴きどころをよろしくお願いします。
安田氏:一言でまとめるならば、いつもと同じく「フィクションはアレンジしてナンボ」ですね。もっとも、こうやって見てきたように、史実の趙雲はあまりにも人物像を図りづらい人なので、「本当はこういう人だったんじゃないか?」という想像の入りこむ余地が他の武将よりも多い人物だと言えます。趙雲を褒めるのは、『趙雲別伝』を書いた彼の子孫だけの特権ではないはず(?)です。朗読CDに登場する勇ましい趙雲の姿から、さらに想像の翼を広げていけると楽しくなるのではないかと思います。


安田氏談




三国志通の安田氏に、今回のシリーズ五篇のキャラクターたち(荀彧・馬超・趙雲・周瑜・甘寧)について、連続でお話を伺っていくことになりました。
第四回は周瑜です―


◆過小評価されている周瑜

いよいよ後半、第四回目です。『三国志』朗読CD周瑜篇はいかがでしたか?
安田氏:これまでに聴いた三作の朗読CDシリーズと比較して、より大胆なストーリー展開がなされている印象です。シリーズが軌道に乗ってきたことで、脚本の作り方にも、良い意味で「遊び」が出てきたのかなという。詳細はネタバレになるので控えますが、お話の半分が、周瑜がこの世を去ってからの話なのは驚きました。

そうですね。でも、死んでいるのに主人公はあくまでも周瑜であるという(笑)。
安田氏:「美周郎の霊魂は死してもなお不滅!」ということですね。生前は微妙な関係にあった諸葛亮について、死後にやっと少し理解できるようになります。『演義』ベースで三国志の人物をとらえた、良いアレンジではないでしょうか。

といいますと、このホームページの「三国志を語る」コーナーではお馴染みの『三国志演義』と史書とのギャップについては、やはり周瑜の人物像に関しても存在するということですか。
安田氏:はい。もっとも周瑜の場合は、『演義』での人物像と、わたしたち日本人が知っている横山光輝『三国志』やコーエーのゲームでの人物像もちょっと違うんです。『演義』はとにかく、劉備と諸葛亮を持ち上げて描く物語ですから、呉の将たちはみんな狂言回しや引き立て役のような描かれ方がなされがちです。周瑜にしても、『演義』では諸葛亮の才能に嫉妬して意地悪ばかりをする、しかも毎回それに失敗して最後は憤死するという、結構なさけない人物として描かれています。

一方、日本のマンガやゲームなどでよく知られている周瑜は、やはり諸葛亮に対して嫉妬を抱いているキャラクターではありますが、呉の軍師としての有能さも存分に描かれている。諸葛亮を100点としたら、周瑜は85点くらい。諸葛亮の魅力的なライバルとしての周瑜像ですね。

なるほど。
安田氏:今回の朗読CDでも、諸葛亮のライバル・周瑜の姿がよく出ています。人物にとても華がある。そういうストーリーが練られているなと感じました。

ならばこれらに対して、史書に登場する周瑜はどんな人なんでしょうか。もしかして前回の趙雲みたいに、史実を多大に膨らませた可能性も想像しなくてはならないのでしょうか……?
安田氏:ご心配には及びません。むしろ、史書に登場する周瑜は『演義』よりもずっと優秀です。後漢体制の下で高級官僚を出した名家の出身で、イケメンで頭もいい。しかも、自分の実家よりはずっと家格が下であるはずの孫策の人格に惚れこんで親友になり、劉備三兄弟に匹敵するような深い親交を結べるほど、義侠の心もあった。後に呉のエースになる魯粛を見出して登用したのも、周瑜の功績です。人を見る目のある人だったんですね。

しかも周瑜は、孫策の死後も呉政権に見切りをつけることなく、弟の孫権を盛り立てて活躍します。赤壁の戦いにしても、『演義』ベースの物語だと諸葛亮が戦況に大きな影響を及ぼしたような描かれ方がなされていますが、史実での最大の主役は周瑜です。

おおっ! やっぱり周瑜はすごいですね!!
安田氏:そうですよ。赤壁の戦いについては、史書を読むだけだとかなり謎が多いのですが、ともかく戦いの主力を担ったのは呉軍で、むしろ劉備陣営はただくっついていただけに近い。戦いの前後に、作戦上で影響を与えた形跡もほとんどありません。

日本の関ヶ原の戦いでいえば、周瑜が徳川家康で黄蓋が福島正則くらいの位置付けだったとして、劉備はたぶん山内一豊くらいでしょう。劉備の軍団が参戦したことによる政治的意義はともかく、実際の戦場では大した役割は果たしていないはずなんです。あくまで、赤壁の戦いの主役は呉軍であり、周瑜だった。

こうした人々に例えられるくらいですし、馬超の武力は相当なものだったはずです。彼は史実でも強い人だった。ファンの方はこの点は安心していいんじゃないでしょうか(笑)。


◆新入社員諸葛亮と、取締役周瑜

周瑜がそんなに凄い人なら、その周瑜を圧倒した諸葛亮はもっと物凄い人だったんでしょうね。
安田氏:いや……。問題はそこなんです。周瑜が生きていた時代の諸葛亮というのは、実は全然大したことがないんです。もちろん、後世の諸葛亮は蜀漢の丞相として国家の行政・軍事を掌握するので、言うまでもなく「凄い人」なのですが、劉備の生前の諸葛亮はそこまで重用はされていないし、軍事的な功績もほとんど無い。赤壁の戦いの頃などは、まさに文字通りの「臥龍」というか、ぺーぺーだったはずなんですよ。

むむ、そうなんですか。ならば、周瑜は若き諸葛亮の才能を見抜いて、恐れていたんですね……。
安田氏:いや、恐れてすらいなかったでしょう。少なくとも赤壁の戦いの当時の諸葛亮は、周瑜の立場からは、後輩の諸葛瑾さんのちょっと出来のいい弟、くらいの認識だったのではないでしょうか。

えええっ!?
安田氏:諸葛亮が三顧の礼を受けて、二〇代で劉備に仕えたのが206~207年ごろ。赤壁の戦いは208年です。当時の諸葛亮は、ほとんど新入社員に近いんですよ。で、赤壁の戦いの前夜に、就職後で最初に担当する大プロジェクトの担当者として呉にやってきたんです。当時、曹操に攻められて倒産寸前だった中小企業の「(株)劉備」と、業界第二位くらいの大手である「(株)孫権」の間でのアライアンスの締結が彼の仕事でした。

そして、結果的にこの困難な交渉に成功して契約(=劉備と孫権の同盟)を成功させるわけですから、諸葛亮は若手社員としては相当に優秀だったのは間違いありません。とはいえ、その当時の周瑜に比べると……。

周瑜は、「(株)孫権」の前代の孫策の時代からの宿将ですよね。
安田氏:そうです。諸葛亮が未上場の中小企業の新入社員だとしたら、当時の周瑜は業界第三位の大手企業の本部長か取締役クラス。年齢は6歳しか離れていないですけれどね。

当時の周瑜から見た諸葛亮というのは、「ほう、この新入社員は倒産寸前の会社に就職したのに、ずいぶんデキるやつだなあ」くらいの感覚だったでしょう。諸葛亮との才能の差を感じて絶望したり、嫉妬に身を焼かれたりはしていないはずです。事実、史書にも周瑜の嫉妬をうかがわせるような記述はほとんど出てきません。諸葛亮はその後、荊州の劉備政権のやり手の外交官として台頭していきますが、その姿を充分に見る前に周瑜は死んでしまっています。

なるほど。それぞれの活躍時期が微妙に違うんですね。
安田氏:そういうことになります。むしろ諸葛亮の方が、新入社員時代に外回りで見たスター選手の周瑜に憧れていて、後に蜀漢の政治と軍事の大権を握った際に参考にしていたかもしれない。後年の諸葛亮の蜀漢政権内での地位というのは、ちょっと昔の周瑜に近い位置付けですから。


◆諸葛亮を引き立たせる周瑜

諸葛亮を高く評価する、場合によっては嫉妬すらする周瑜、という人物像は、『三国志演義』で作られた人格なんですか。
安田氏:はい。ただ、そういう設定が作られているお陰で、フィクションの諸葛亮は引き立っているとも言えそうです。諸葛亮のライバルというと、まず司馬懿の名前が浮かびますが、彼は陰気だしイケメンでもないし(笑)。司馬懿が有能な武将なのは間違いないはずですが、「燃え」に欠けますね。その点、周瑜は魅力的です。史実ではもちろん、エンタメの世界でも華があるという、貴重な人材だというわけです。

今回の朗読CDは、そんな「華のある」周瑜像が上手く表現されているなと感じました。諸葛亮の魅力についても、周瑜の目を通じてだからこそ感じられる部分もありそうです。

最後に一言お願いします。
安田氏:このホームページ上の「三国志を語る」シリーズではお馴染みの締めなのですが、「エンタメの三国志はアレンジしてナンボ」です。周瑜は特に史実とフィクションとの乖離が大きいため、媒体によっていろいろな人物像を味わえる人だと思います。今回の朗読CDも、そんな多様な周瑜像に新しい1ページを加えた、と言えるのではないでしょうか。みんなで楽しみたいですね。

ありがとうございました。

安田氏談




三国志通の安田氏に、今回のシリーズ五篇のキャラクターたち(荀彧・馬超・趙雲・周瑜・甘寧)について、連続でお話を伺っていくことになりました。
第五回は甘寧です―


◆甘寧一番乗り!

五篇のシリーズではラストの一枚。『三国志』朗読CD甘寧篇はいかがでしたか?
安田氏:まず人選にびっくりしました。呉の武将が入るのはいいとして、孫策でも魯粛でも呂蒙でもなく、甘寧とは!そこを突いてくるかと新鮮な驚きでした。

ええ(笑)。ここはサプライズ人事でしたね。
安田氏:もっとも、考えてみれば確かに甘寧は武将としてのキャラが立っていますね。酒見賢一先生の斬新な三国志小説『泣き虫弱虫諸葛孔明』にも、「もしも甘寧が蜀にいれば、趙雲ぐらいのメジャー武将にはなっていた」と書いてありましたし(笑)。呉の人物にあまりスポットが当たらない『演義』ベースの物語では甘寧の存在感は決して濃くはありませんが、重要な武将であることは確かです。

今回はそこにスポットがあたったんですね。
安田氏:そうですね。横山光輝の『三国志』ですと、甘寧って分銅振り回しながら敵の城に乗り込んで「甘寧一番乗り!」って叫んでるシーンのイメージが強いですが、今回の朗読CDではよりキャラクターが掘り下げられています。悪人上がりの甘寧の回想独白と言うか、ピカレスクな魅力がありますね。先の周瑜篇もそうですが、朗読CDシリーズは後半になるほど、自由度の高いストーリーを構築している印象があります。

最低限の史実や『演義』での設定は踏まえているけれど、大胆なアレンジですよね。
安田氏:特に甘寧なんかは、そういう見せ方がすごく有効な人物かもしれませんね。これが劉備や諸葛亮のような主要キャラであれば、われわれの間でのイメージが強すぎて、手が縛られてしまい、あまり自由に作れない部分もありそうです。まずキャラ付けについては、横山光輝『三国志』のようにベーシックな聖人君子イメージで描くか、もしくは『蒼天航路』のように不良にするかの二択。で、三顧の礼なり蜀攻略なりのイベントは先に決まっていて、それに「どういうキャラ付けの」劉備や諸葛亮を当てはめるかで、オハナシを作っていく方式になることでしょう。本歌取りが基本です。

一方で甘寧の場合は、彼がそもそもどんなキャラなのか、史実で何をしたのかといったオハナシ作りのベースになる元ネタが主要キャラよりもずっと少なそうですから、あとは想像の翼に乗せて自由なキャラ作りができるはずですよね。今回はそれに成功しているという印象です。

言われてみれば確かに、既存のキャラとしての姿が固まっている劉備や諸葛亮に対して、甘寧はある意味でフロンティアとも言える人物です。
安田氏:そうやって自由に作られたストーリーをさらに面白くしているのが、甘寧の声優を担当されている羽多野さんの演技ではないかと思いました。戦場での絶叫とか、すごいと思いましたよ。このシリーズの他の武将では出せない、野性的な叫びです。劉備や曹操・諸葛亮らと違って、元ネタによる先入観が少ないだけに、今後は自分のなかで甘寧の声は羽多野さんで再生されていくことになりそうです(笑)


◆不良武将、甘寧

ところで、史実の甘寧はどんな人だったのでしょうか。
安田氏:今回の朗読CDの通り、若い頃は悪者だったみたいですよ。陳寿『三国志』の「呉書」の甘寧に関する記述を読んでみますと、「少有氣力、好游俠、招合輕薄少年、爲之渠帥」と書いてある。字面から何となくわかりますように、甘寧は青少年期から覇気があってヤクザ気質で、同じような不良少年を集めてリーダーになっていたということですね。

甘寧は不良だったんですか。
安田氏:はい、不良だったみたいですね。実のところ、三国志の世界で名を成しているような人間は不良少年だった人が多いですよ。劉備も曹操も孫堅も若い頃はそういうところがありましたし、もちろん関羽や張飛もそう、董卓もそう。インテリ系でも徐庶や魯粛は不良です。いわゆる「侠」と呼ばれた気質ですね。なかでも甘寧は不良少年たちのリーダーだったと史書に書かれているわけですから、特に筋金入りだったと言えそうです。

みんな不良ばかり……。
安田氏:乱世を生き残って後世に名前を残すような人には、根性が座っている人が多かったということでしょう。余談ながら、不良じゃない人の場合は、周瑜や荀彧みたいにイケメンだという記述が残っている人が多いようですから、当時は根性があるか顔がよい人間が優遇されるという非常にシビアな世の中だったのかもしれません(笑)。

三国志の世界も大変だったんですね。
安田氏:ええ、当時に生まれなくてよかったと思います。……って、甘寧の話に戻りましょう。彼は二十歳をちょっと過ぎたくらいで不良を引退しまして、就職します。就職希望先は荊州の劉表だったわけですが、いまいち重用されなかったので、劉表の子会社の夏口太守・黄祖のところへ行きますが、そこでもパッとしなかったので、最終的に呉に流れてきます。黄祖の部下時代に、呉軍との戦いで勇将の凌操を殺害したといいますが、呉では周瑜と呂蒙が紹介人になってくれたこともあって、ちゃんと雇ってもらえたようです。

その後は呉の宿将としての活躍ですね。烏林(赤壁)、南郡、濡須口と、主要な戦場では常に第一線に出ているエースだったと伝えられています。なんと、荊州では関羽軍と戦って功績を立てたりもしていますよ。


◆史実と物語

朗読CDの話題に戻りましょう。安田さんは今回の甘寧篇を聞かれて、特にびっくりした部分があるとおっしゃっていましたよね。
安田氏:はい。今回の甘寧篇で何よりも小憎いなと思ったのが、甘寧が持つ鈴の設定ですね。男のなかの男、甘寧がなぜか持っている鈴です。

実はこの鈴、史書にもちゃんと話が出てくるんですね。若き甘寧の不良少年時代、「民は鈴の音を聞くと甘寧とわかった」そうですから、彼を象徴するアイテムだったと言っていい。それを朗読CDのなかで話のキーに持ってきたのは、さすがだなあと思いました。

今回のホームページ上での「三国志を語る」シリーズで、安田さんはしばしば史実とエンタメの違いについて言及されていますよね。
安田氏:そうですね。史実を完全に無視してしまうエンタメは、歴史に題材を取った意味がなくなってしまう。でも、史実に忠実に作りすぎると面白味に欠ける……というものだと思います。一番いいのは、史実の細かな部分の設定を反映しつつも、それ以外の部分で大胆なアレンジが施されている作品ではないでしょうか。

そういう意味で、今回の朗読CD。特に最後の甘寧篇は、まさにそんな作品でしたよね。5作とも面白かったのですが、最後の締めが強烈だなあと思いました。通して聴いてみると、より深く三国志を楽しめる作品になっているのではないでしょうか。

ありがとうございました。

安田氏談